アフガニスタン交流
アフガニスタンとクロスアーツ
私たちは、クロスアーツの副理事であり、映画監督である井上春生氏を通じてアフガニスタンと交流を持つようになりました。
井上氏の実父である井上昭夫天理大学教授が、30年来アフガン難民支援をいろんなカタチでされていて、そのひとつとして文化復興支援がありました。
戦乱が終わって、道路や橋、建造物といった目に見える社会基盤と同時に、なかなか目に見えにくいが人々の心の基盤である文化もこれから復興していかなければいけないというコンセプトのもとに、カブール大学の教授陣たちの映画作りを支援していたことがきっかけでした。
天理大学とカブール大学の映画プロジェクトに、ちょうどNPOを立ち上げたばかりのクロスアーツが映画監督の井上春生が編集協力、作曲家・村山達哉が音楽監督として参加しました。そうして出来上がった映画が「カブール・トライアングル」です。
また、渡航時にアフガンフィルムを訪問し、ラティフ所長、世界的に有名な映画監督・セディク・バルマクと交流をもち、アフガンフィルム所蔵の数作品を借りてきて、「カブール・トライアングル」とともに2005年11月に第1回アフガニスタン映画祭を開催し、上映しました。
それ以来、カブール大学、アフガンフィルムと交流が続いていて、今後も映画祭、合作映画など、さまざまなカタチで文化交流をおこなう予定です。
アフガニスタンについて
国名:アフガニスタン・イスラム共和国
公用語:パシュトー語、ダリー語
首都:カブール
西アジアの内陸に位置する多民族国家。パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人、トルクメン人などの数多くの民族が住んでいます。人口は約2200万人、宗教はイスラム教。
国土は日本の約1.7倍。国土のほとんどが山と平野で海はありません。大半が乾燥しており、真水の確保がむずかしい地域です。経済的にはきわめて貧しい国のひとつで、2004年のUNDP人間開発指数でアフガニスタンは178ヶ国中173位。歳入の大半を国際援助に依存しています。主な産業は農業と牧畜(羊とヤギ)で、麦やジャガイモ、アーモンドなどを作っています。乾燥した地域ではケシの栽培が盛んで、麻薬依存経済からの脱却は国の課題となっています。
20年以上続いた内戦により受けた壊滅的なダメージから、タリバン政権崩壊後、国際社会の支援を通じて復興が進展中。新しい道路ネットワークや工業地域の開発などのインフラ整備が進んでいます。
歴史
- 1747年
- ドゥラーニー王朝成立
- 1826年
- バーラクザイ王朝成立
- 1838年
- 第一次アフガン戦争(〜1842年)
- 1880年
- 第二次アフガン戦争(〜1880年) 英国の保護国となる
- 1919年
- 対英戦争(第三次アフガン戦争)に勝利 独立
- 1973年
- 無血クーデターにより共和制に移行
- 1978年
- 軍部クーデター(四月革命)により人民民主党政権成立
- 1979年
- ソ連軍によるアフガン侵攻開始 社会主義政権樹立
- 1989年
- ジュネーブ合意に基づき、駐留ソ連軍の撤退完了
反ソ連ゲリラ(ムジャーヒディーン)と政府軍の間で内戦が勃発 - 1994年
- イスラムへの回帰を訴えるタリバーンが急成長
- 1998年
- ターリバーンがアフガン全土をほぼ掌握
- 2001年
- 10月米国同時多発テロ事件。米・英等によるアル・カーイダ及びタリバーンに対する軍事行動
12月北部同盟等がタリバーン支配地域を奪還
アフガニスタン各派の代表は今後の和平プロセスに関する合意を達成(ボン合意) - 2002年
- カルザイ暫定政権議長を大統領とする移行政権が成立
- 2004年
- 新憲法制定
初の大統領選挙、正式政権発足
選挙を前にターリバーンが再結成し、南部で武装蜂起 - 2005年
- 総選挙・州議会選挙実施
- 2006年
- 駐留軍の指揮権が北大西洋条約機構(NATO)に移譲される
5月、タリバンの攻勢強まる
用語解説
ターリバーン
ソ連のアフガン侵攻後の内戦から祖国を解放しようという運動体を基にするパシュトゥーン人を中心とした武装勢力。
ターリバーンとは「学生たち」という意味で、イスラム神学校で軍事的・神学的に教育・訓練された生徒から構成されています。イスラム教は政教分離をゆるさない宗教で、聖職者たちは神学校を通して純粋なイスラム教国家としてアフガンを復興する必要性を説きました。その中から生まれたターリバーンは、内乱にうんざりしていた多くの人々に歓迎されアフガンの大部分を支配するまでに成長しました。
厳格なイスラム原理主義のターリバーンの支配は、イスラム教信仰に基づく生活を市民に強制しました。あごひげを生やさない男性やブルカという全身をつつむような服装をしない女性を逮捕したり、映画や音楽、テレビなども禁止されました。公開処刑なども日常的に行われていました。しかし、ターリバーンのメンバーは内乱による孤児などで本当の祖国的な生活はしたことがないものが多く、実際にはイスラム教とは相容れない偏狭なイスラーム解釈の押し付けが多かったようです。そして国民からの支持は低下していきます。
パキスタンやアメリカの支持をうけて勢力を伸ばしていったターリバーンですが、アルカーイダを客人として自国内に滞在することを許したことにより孤立していきます。国際社会の注目を集めるためにバーミヤンの大仏を破壊したり、アメリカ同時多発テロ事件以降にアルカーイダをかくまったりしたため、どんどん窮地に追い込まれ2001年には政権崩壊しました。
しかしながら指導者の多くを失わなかったターリバーンは勢力を回復し、2006年には南部四州で都市部以外の支配権を獲得し再起しました。現在は自爆テロや無差別テロなどの戦術をとる傾向が顕著になり、アルカーイダとの一体化の進行が指摘されています。
北部同盟(アフガニスタン救国・民族イスラム統一戦線)
1996年ターリバーンのカブール制圧ののち、反ターリバーン政権として北部アフガニスタンを統治した勢力。
ムジャーヒディーン
ムジャーヒディーンとは、イスラム教の大義にのっとったジハードに参加する戦士たちのこと。
アフガンのムジャーヒディーンはソ連のアフガン侵攻に対抗してつくられたゲリラ組織で、イスラム世界の各地から志願兵が多く集まりました。ウサーマ・ビン=ラーディンも若いときに参加していたことで有名です。
ソ連撤退後、いくつかのグループに分かれて内戦の原因となりました。